仲間の一人がヤフオクでJBLのSPを落札したのを機に、出品者が香川ということもあり、SPを取りに行く手伝いをする名目で仲間4人で急遽さぬきうどんツアーが組まれた。朝5時半出発で日帰りの強行スケジュール。
せっかくの機会だから、うどん店を何件も回りたい、できるなら有名店に行きたいと事前に調べて臨んだが、香川のうどん文化の一端に少し触れることができた。
ただ巨漢で大食漢の自分でも実際そんなに何カ所も回って食べられるものではなくて途中で戦意喪失したのは事実、残念。
それにしても炎天下にもかかわらず行列してまで食べるさぬきうどん、15分並んで食べたのは中盛りの180円、揚げ竹輪をトッピングして250円って・・あまりにも安すぎる。
店内(といっても普通の民家の倉庫)はほとんど製麺所の倉庫って状況、机はあるが狭い。入って直ぐに鎮座する強火力(たぶん薪炊き)で沸騰状態のかまどにひっきりなしに職人がうどんを放り込んでいた。
丼に麺を乗せてトッピングした状態で代金を払い、めんつゆも薬味も客が勝手にかけてという完全なセルフ店であったが、当然店内は混雑しているので外で頂く。
たしかに麺にさぬき独特の「こし」がありうまい。この場合めんつゆの味付けはどうでもよくてうどん麺そのものの味という感じ。
一方で大分人の悪い癖なのか、確かにうまいのだが、炎天下に並んでまで食べた割にはなにか説明できない物足りなさを感じたのも事実。
これなら値段を倍にするなり、店を大きしてちゃんと店内に食卓を確保するなり(駐車場は近所の空き地がすべて専用駐車場になっていた50台は置けそう、土地は十分ある)何か手をいれりゃいいのにとは思ったが、虚飾を廃し「かけうどん」で150円前後で食べられるのがさぬきうどんの食文化たるものなんだろうとも思った。そういう意味では博多や久留米のラーメンに通じる食文化なんだろう。家族4人で行って千円でお腹いっぱいになれる食文化があるのは正直大変羨ましい。
オーディオの何が楽しいのか?と問われても、即答に困るが、もちろん音楽を聴くこと自体が好きってことはある。しかしながら、よくよく考えると機器や機械により音楽の印象がガラっと変わることの面白さってのが一番だろうと思っている。
そんなこと言うと音楽そのものよりも機器の存在を上に見ているのかと反問されそうだが(それも少しはあるか)、確かに機器や機械によっても変わらない素晴らしい音楽は厳然としてある。多分、青春時代に聴くある種のロック系の音楽、自分の例でいうと高校時代に聴いていたビートルズなんかは機器をまったく選ばなかった。ラジカセで聴いても素晴らしかった。本当に感動できた。今思うとあんな貧相なもので聴いてなんで感動できたのかと思う。いい音楽は機器を選ばないってのは事実と思う、人間は感性がすべてだと。
そういうことは十分認めた上で敢えて言うと、大多数の再生音楽は聴く機器により音楽の感動度合いが劇的に変化してしまうのも一つの真実と考えている。
機械により音楽に感動できるか決まるということ。けっこう大胆な説。
機器に頼るのは、大人になって感性が鈍くなったせいだ、といえば確かにそうなのかも知れない。一方でそれなりの人生経験である部分は確実に豊かになったとも思うし。ある部分強くなり、ある部分弱くなったというのが実際か。で、言い訳がましく言うと物事に簡単に動じない鎧を知らぬ間に作ってしまったがゆえに、これを打ち砕くためにそれなりの装置が必要になってしまったとも言える。その装置としての機械であるオーディオである。オーディオはもっとも簡単にできる擬似体験であり、この擬似体験に好奇心やカタルシスを感じているんだと思う。
この考えを突き詰めていくと、使用する機器により音楽の感動を発掘できるということ、今までまったく感動できなかった音楽が機器が変わった途端に感動できるようになるということ、駄盤が名盤になるということである。必然的にそれなりの大掛かりで高価なシステムを構築することになる。オーディオに嵌ってしまった原因である。
一方で逆のことも言える。あくまでも音楽を聴くのは人間が主体的に選んでいると考えがちだが、下手すると機器により無意識に好きな音楽のジャンルが決められてしまっている場合もあり得るということ。
ここまで書いて読み返してみて、論旨が支離滅裂であることに気が付いた。
自分で分析するに、この辺の考え方って学生時代に読んだヴェーバーの影響かも?
ともかくも、そんな理由で自分は音楽は食わず嫌いせずにいろんな時代のいろんなジャンルのいろんなソフトを、いろんな機器で聴くべきと考えている。必然的にソフトと機器は非常識に溜まってしまうがw。
2007.07.18 意志弱!
日頃の運動不足を解消するために、今日こそは夕食後のウォーキングをと朝から心に期していたが、またフカしてしまった。なんと意志の弱いことか。
単身先だとどうしても面倒臭がりで行動が限定的になってしまう。こんなときは散歩を誘うトム子の存在は大きいと痛感。なんも取り柄がないアホ犬だが(厳密にいうとアホではなく周りの空気を読むというか、自分の利益を瞬時に計算する独特のズル賢さを持った犬だが)主人の健康には十分貢献している。
それにしても奴もこのごろは歳食ったなと思う。例えばフリスビーする時、以前は確実に獲ってただろ突っ込みを入れたくなるような局面が最近多いし、全体的に足が遅くなったような気がする。奴も今年で7歳。人間でいえば中年を過ぎた頃か。
考えてみれば、フリスビーに関しては、教えずとも最初からちゃんと空中キャッチして咥えて持ってきた犬だから、アジリティドッグとしては相当の才能があったのではと今になって思う。いい加減に飼わずにちゃんと教育して才能を開花させてあげたほうが良かったのか、今の生活が良かったのか。わからん。
本日やったことと言えば温泉に入りに言ったことと愛犬トム?を洗ったくらいか。天気も悪く単身の移動日、明日から仕事ということで気の晴れない一日。
選挙の動員で集会に参加したが、特に刺激はなし。サッカーのベトナム戦も後半から見たせいかいまひとつ盛り上がらず。日本が勝って当然ぽくて最初のゲームのようなハラハラドキドキは無かった。
そういえば夜中に映画鑑賞したが、あれも今日になるのか、そのことについて書く。
2本見たが、映画の名はハリソン・フォード主演の「ファイアーウォール」とケイト・ウインスレットとケビン・スペイシーの「ライフ・オブ・デビッド・ゲイル」
採点でいうと100点満点で前者が68点、後者が72点くらいかな。両方ともそこそこ楽しめたものの、なんか二番煎じぽくて、前にどこかで観たようなという、思い出せないもどかしさが絶えず付きまとったのがいまひとつ低い採点の理由。大統領まで演じた男が銀行の一介のセキュリティ担当役員で家族を守るためにアクションと言われても前のやつは飛行機の中だったし、全体的にショボイ気持ちにさせられた。ハリソン・フォードは老けすぎ。あんな小さな子供のいる設定おかしいだろと思う。最初孫か?と思ったくらい。アクションシーンももうあまりすべきでないように思う、インディのイメージが壊れる。
後者は結局、ショーン・ペンのデッドマンウォーキングを彷彿とさせるのが最大の欠点かな。最後の別れた妻云々のエピソードは余計と思う。代りにゲイルが死刑にされるシーンをなぜ入れなかったのだろうと不思議に思った。映像としては斬新さもあり面白かったのに詰めの甘さを感じた。
そうなると知りたくなるサブのスピーカーということで、以下のものです。070715_2159~02.jpg

これら巨大な二つのスピーカーセットを一つの部屋にむりやりぶち込んだ無謀な人間がワタシです。
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メインは一応これなんだが、サブとどっちか大きいか?幅と高さはサブのほうが明らかにデカイ。あと、ワカル人にはわかるユニットの変更・・・ここらの事情は某氏の著作権がからむんであまり詳しいことは・・。
オーディオシステムはメイン、サブ、サブサブ(単身用)とある。
メインのプリはマランツ、パワーはカウンターポイント、両方とも球のアンプで生産されてウン十年というシロモノ。機種名は写真で判断を。これだけで個人が特定されそうで怖いが・・。

070715_2158~01.jpg 070715_2158~02.jpg

2007.07.14 ブログ事始め
上の娘にことあるたんびに「お父さんもブログやればー」とせかされていた最近。台風4号でどこにも行けない本日、娘にそんなに言うんならお前が作れば?と半ば諦め半分で気のない返事をしたら、いきなり喜々として作り始めたのが今回のブログ。
名前の由来はその時かけていた荒井由実の同曲からという次第。
さて、どうなることやら。
2007.07.14 テスト
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ボーダーコリーのトム