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標記の如く、当ブログのカテゴリーにおいて「難解版・・・一般人立入り無用」を立ち上げることに致しました。
趣旨と致しましては、とりとめなく思いつき思索した結果の誠に私的な披瀝の場とする予定であり、当然に至極難解かつ抽象的になることは避けられず、従来の即物的かつ趣味的、娯楽的内容とは著しく乖離することが予想されるため、あえて「・・・一般人立入り無用」と致します。
有り難くも本ブログにもそれなりの一定数の読者がついて頂いている状況下で、本来はこういう内容は別に専用ブログを新規設定して開陳していくべきなのでしょうが、残念ながら二つのブログを操るほどの器用さを当方は持たないため、敢えてカテゴリーの追加という手法で対応させていただきます。
このカテゴリーの時は一般の方はできるならば素通りして下さい。読んでもわからないと思います。





これを作るに至った事態は、そもそもはebapon氏の酒席の場での揶揄から始まる。
そのおおまかな内容は「オマエは考え方がハイデッガー的である。そのいちいち過去や歴史を引きずった考え方、判断では自由を失ってつまらない。もっと今あるものを在るがままそのまま受け入れて出発していくべきではないのか?」。いきなり刺激的な指摘。
彼はここでハイデッガーに対置する意味においてレヴィナスを取り出す。
ハイデッガー?レヴィナス?ハイデッガーの代表作が「存在と時間(唯と時)」であることくらいは知ってはいるが、レヴィナスになるとフッサールやベルグソンの流れの思想家くらいのことしかわからない。
この辺りの議論になると分野的にはまだ初歩であるものの学問として純粋に「哲学」に踏み入る内容であり、正直言って今の自分には相当に荷が重いのは間違いない。
議論として成立させることができるのか甚だ怪しくなる。
一方で過去を振り返って見た場合、主に二十代の頃、さすがにハイデッガーの話題はなかったものの、この手の話題(まさに哲学の話)を散々やって来たのも事実であった。
ただそれから20年以上、自分の中で敢えてこの手の話題を「忌避」し「封印」してきた経過がある。(なぜ封印したかについてはいづれ本稿で上げる予定)
今後いつかまた取り組まねばならない課題であることは承知しつつも、今になっていきなり急にそれを問うのか?
ある種の「唐突さ」に当惑し、驚いたのは事実であった。

一方で正反対の感覚の感覚も湧き起こったのも正直に告白する。
すなわち「機は熟している」のではないか?
彼の言はひとつのきっかけに過ぎないのではないか?それが証拠にここ最近の自分自身は糸の切れた凧のように漂流しているではないか?ここらで今一度原点に回帰すべきではないのか?
残された時間は意外に少ないのではないか?

彼のブログにおいて表現されたように、人知れず裏庭の井戸にこっそり隠していたある種の「アンタッチャブル」、「パンドラの箱」のような自分の中のある種の存在を否応無しに掘りおこさざるを得ない事象であった。

今まではこういう時には便利よく、自分には「林達夫的歴史観」「世界観」という、それなりの防御の法もあったのであるが、それさえもあらかじめ予想して逃げ場を塞ぐように、暗に「オマエは『林達夫的世界観』とは違うところにいるだろう。いまさらそれは根拠にならないぞ」と突き詰められた。
こういう時はebapon氏は特に非情である。
もうとっくにメッキが剥がれいるのは自分でも承知している。自分の胡散臭さの原因がせっかく積上げた思索を中途半端、無責任に放擲し、その後は外見は訳知り顔で振る舞いながら、実際は無為かつ怠惰に享楽的に過ごしたたことに起因することは充分わかっているつもりではある。
それでもいきなりこの言い方・・・・。思わず溜息がでます。

反発しつつも、今回の言をひとつの契機として、まずこの二十年の錆果て腐食した胴身を今一度洗い流し少しは気の利いたことが書けるよう精進していきたいと思います。
「ネット」で書くと考えた経過が保存され、「忘れ」にくくなるということもあり、また良い意味で逃げ場がなくなるので、それを今後の刺激にしていきたいと思います。
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