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学生時代に自分に問うたのは、①自分は一体何なのか?②何をしたいのか?③どこに行きたいのか?というようなテーマであったように思う。
普通は、この手のテーマは、学生時代の内は割と曖昧にぼかして過ごしていく。(敢えて避ける、触れない?)。
それでも敢えて上記の問いに答えるならば、
①まだ学生の内は何にでもない(逆にこれから何にでもなりうる?白いキャンバスみたいな?)
②就職する(社会人になる)にしたがい自分が何をしたいか決める
③行った先(就職した先)での価値観で自分の行きたい方向を決める(職階で自分を高める?)
というように企業なりの(社会の歯車として)価値観を与えられて、それに邁進するかたちで、人生の価値を与えられていくという生き方。
割と日本人に多い生き方である。
企業が与える価値観でそのヒトの人生観、価値を決めるという構造?
もちろん企業から価値を与えられる前に、自分の意志で自分が何をしたいかを決め、その方向に従った方向で仕事を選択し生きていくことができる、あるいは生きていこうとする強固な意志、高い理想を持ったなヒトもいるであろう。

ここまでは、割とフツウの話。全然難解でも無い。

上記の問いをもっと単純化して、以下の問いに変更してみる。

①自分はどこから来たのか?
②自分は何であるのか?
③自分はどこに行くのか?(何をしたいのか?)

これもまだ一見フツウである。悩んだとき偶に自分に問い直す事柄ではある。
実際は最も「深い」問いなのであろうが・・。

上記の問いの「自分」を「人」に変えてみる。

①人はどこから来たのか?
②人は何であるのか?
③人はどこに行くのか?(何をしたいのか?)

ウーン、幾分はちょっと「哲学的」な話になる。ちょっと難解なイメージを帯びてくる。
「人」となると客観化、一般化されて、ある種の普遍的な広がりを持ってしまう。

今度は「人」を「世界」に変えてみる。

①世界はどこから来たのか?
②世界は何であるのか?
③世界はどこに行くのか?(何をしたいのか?)

何か、環境問題を扱っているようなイメージ?
それでも思索的なテーマにはなっている。

次に「世界」を「日本人」に変えてみる。

①日本人はどこから来たのか?
②日本人は何であるのか?
③日本人はどこに行くのか?(何をしたいのか?)

もうほとんど日本人論のテーマである。
「日本人」論も極端に肉をそぎ落としたら、このテーマに凝縮できるのでは?


何が言いたいのか?
自分は、個々の事柄において、上記に対する「問い」を求める形で好きなことを追求しているだけのような気がしている。
これは要するに「存在」論であり、過去と未来という形の「時間」論であり、何にでもなりうるという意味での「自由」論でもある。

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