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オーディオの何が楽しいのか?と問われても、即答に困るが、もちろん音楽を聴くこと自体が好きってことはある。しかしながら、よくよく考えると機器や機械により音楽の印象がガラっと変わることの面白さってのが一番だろうと思っている。
そんなこと言うと音楽そのものよりも機器の存在を上に見ているのかと反問されそうだが(それも少しはあるか)、確かに機器や機械によっても変わらない素晴らしい音楽は厳然としてある。多分、青春時代に聴くある種のロック系の音楽、自分の例でいうと高校時代に聴いていたビートルズなんかは機器をまったく選ばなかった。ラジカセで聴いても素晴らしかった。本当に感動できた。今思うとあんな貧相なもので聴いてなんで感動できたのかと思う。いい音楽は機器を選ばないってのは事実と思う、人間は感性がすべてだと。
そういうことは十分認めた上で敢えて言うと、大多数の再生音楽は聴く機器により音楽の感動度合いが劇的に変化してしまうのも一つの真実と考えている。
機械により音楽に感動できるか決まるということ。けっこう大胆な説。
機器に頼るのは、大人になって感性が鈍くなったせいだ、といえば確かにそうなのかも知れない。一方でそれなりの人生経験である部分は確実に豊かになったとも思うし。ある部分強くなり、ある部分弱くなったというのが実際か。で、言い訳がましく言うと物事に簡単に動じない鎧を知らぬ間に作ってしまったがゆえに、これを打ち砕くためにそれなりの装置が必要になってしまったとも言える。その装置としての機械であるオーディオである。オーディオはもっとも簡単にできる擬似体験であり、この擬似体験に好奇心やカタルシスを感じているんだと思う。
この考えを突き詰めていくと、使用する機器により音楽の感動を発掘できるということ、今までまったく感動できなかった音楽が機器が変わった途端に感動できるようになるということ、駄盤が名盤になるということである。必然的にそれなりの大掛かりで高価なシステムを構築することになる。オーディオに嵌ってしまった原因である。
一方で逆のことも言える。あくまでも音楽を聴くのは人間が主体的に選んでいると考えがちだが、下手すると機器により無意識に好きな音楽のジャンルが決められてしまっている場合もあり得るということ。
ここまで書いて読み返してみて、論旨が支離滅裂であることに気が付いた。
自分で分析するに、この辺の考え方って学生時代に読んだヴェーバーの影響かも?
ともかくも、そんな理由で自分は音楽は食わず嫌いせずにいろんな時代のいろんなジャンルのいろんなソフトを、いろんな機器で聴くべきと考えている。必然的にソフトと機器は非常識に溜まってしまうがw。
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